johnathanTのブログ〜双極性障害について〜

どうも!ジョナサンのブログです。精神疾患を患ってる方へのサポートが少しでも出来るようなブログを発信していこうと思います。

一回目の休職期間の過ごし方<家族や友達にうつ病の人がいる方必見>

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どうもジョナサン(Twitter:@Johnathan_cbf)です!

 

うつ病で休職に入るための手続きを済ませました。

そのことはこの記事に詳しく書いています。

www.johnathantbipolar.com
さて、大手を振って休職状態に入った私ですが、
休職期間どう過ごしていたのか、どう体調が変化していったのかこれから書いていきたいと思います。

 

この記事はこんな方におススメです。

うつ病で休職している方

・家族や近い人がうつ病の治療をしている方

双極性障害で休職している方

・家族や近い人が双極性障害の治療をしている方


1~8月末まで休んで9月から試し出勤だったので、
1~2月、3~4月、5~6月、7~8月の4期間に分けて、

書いていこうと思います。

1~2月の休職期間(うつ状態)の過ごし方・体調の変化


休職状態に入って割と早い段階で、
・死にたい気持ち
・頭がガンガン痛くなる
・異常な疲労
とかは取れた気がします。

仕事や人間関係、夜の付き合い、大阪というアウェーな土地から離れて
勝手知ったる場所である東京に戻ってきたことが一番大きかったかな。

次に大きかったのは、やはり信頼できる母(バリバリ仕事していましたが)が傍にいてくれてたことですかね。
当時の主治医も言ってましたが、この手の病気の治療は、やはり女手が無いと辛いとのこと。

ただやっぱり具合は悪くて、
・夜中何度も目が覚める
・寝起きの気分が猛烈に悪い
・耳が常に詰まってる感じがする
・喉にものが詰まってる感じがする
とかの症状はありました。

一応体は動ける状態だったので、友人とかも何人かは1~2月会ってた気がします。

少し脱線ですが、休職入りたての頃は正直会社に戻る気はなく、
体調が戻った段階で退職し、公務員試験の勉強をするつもりでいました。

Y水君という友人に会った時に、
「会社辞める決断するのはまだ早いっしょ。一回配置転換してもらって、様子見るべきだと思うよ」と言われたときに、
まあ会社に戻るのもありなのかな~と、「元の会社に復職すること」が選択肢の一つに入ったのを覚えています。

日々どう過ごしていたかというと、すごく規則正しい生活送っていました。
ベッド入るのも22時台で、ただ休職して最初の頃は朝起きれませんでしたね。
9時台まで寝てた気がします。
後は、父親(一般的に言うクレイジーな人なんですが、後で詳しく書きます)が具合悪いのにガミガミ怒鳴ってきて、
家に金払わないなら家事やれって言ってきたので、料理(元々得意だった)とか掃除とか買い物とか具合悪いのに行かされてましたね。

主治医がリゾート地なら海外行っても良いって言っくれたのと、
人事も旅行とか全然行っちゃって良いからねって言ってくれたのもあって、
2月にボラカイ島(フィリピンのリゾート地)に計10日ほど行くことにしました。

結論から申し上げると、
休職中の海外旅行は私はおススメしません。
もし行くならもう後ろめたさとか捨てて、やりたいと思ったことをやりましょう。

まず1月末に一人で、航空券の手配やホテルの予約をネットでそれぞれしました。
疲れ果てました。
休職中、もし海外行くなら、旅行会社とかに航空券の手配やホテルの予約を抑えてもらった方がよいです。
成田空港で会社の人と遭遇しないかとか、いらん心配いっぱいしました。

私海外旅行とか元々好きで、大学の頃よく行ってたんですよね。
大体海外行ったらつるむのも外人でしたが、
今回の旅行は疲れたくなかったので誰ともつるみませんでした。
そうすると日中とかずっと一人で海とか眺めてるんですけど、
あんまリゾート地って一人で行っても楽しめないんですよね。
特にコンディションがそんなに良くないときとか。
酒も飲まなかったんで、一人で夜クラブとか行っても虚しさしかなかったですね。
立ちんぼの姉ちゃんから声かけられても、
「俺は会社から休みをもらってる身なのに女の子なんか買っちゃダメだ」っていう
ストッパーが働くし。
あの時女の子買わなかったのは今でも後悔してますね。
行くならもう後ろめたさとか捨てて、やりたいと思ったことをやりましょう。
もう正直早く東京帰りたかったです。

結局疲れるだけで20万とか飛びましたね。
いい出会いもあることにはあったんですが。

パニック発作みたいな症状がいきなり出たりしましたね。1~2月。
耳の詰まり感がどうしてもとれないので、耳鼻科に行って検査とかしました。
あと、睡眠の質もあんま戻んなかったんで、睡眠時無呼吸症候群の検査とかもしました。
両方不思議と検査すると問題ないんですよね。
あと原因不明の喉にものが詰まってる感覚が取れませんでしたね。

まあそんなこともあり、母親から「漢方とか試してみたら?」って勧められたこともあり、漢方相談店で診てもらいました。そこでは、いわゆる粉薬の漢方薬とかだけじゃなくて、煎じる本格的な漢方薬も処方してもらえました。
現在の自分の症状(耳の詰まり感、喉の詰まり感、胃腸の不具合etc)など細かいヒヤリングの後、
・半夏厚朴湯
・センブリ
の二つが処方されました。
半夏厚朴湯は煎じて飲むやつです。
センブリはめっちゃ苦い粉薬です。
漢方って病院とかで処方されるやつだと安く買えるんですけど、
本格的に煎じて煮るタイプのやつだと結構高いです。
ひと月分で1万7千円(医療費控除の適用にはなります)とかしました。

ちなみに煎じて飲む漢方薬の効果を10とすると粉薬にしてまうと5以下になってしまうそうです。

その当時私の担当になってくれた漢方の先生が、
凄い親身に話とか聞いてくれたり、
生活上のアドバイスとかくれる先生で、
助かっていたのを覚えています。

漢方薬一回目の休職時は効きました。結構すぐ効きだした気がします。
なんか、「いけるかも」ってなった思い出があります。
ただ症状が重いと(二回目の休職時)ほとんど効きませんでした。
恐らく軽~中程度の症状向きなんでしょう。

クレイジーな父親


少し私の父について触れたいと思います。

特定の個人の誹謗中傷にならない表現の範囲内で、
暴力的な描写とかも限りなくオブラートに包んで、
書きますね。

とりあえず大分柔らかく書きますね。


私の父ですが、高校3年生の頃にうつ病を発症し、
大学進学を諦めています。
ですので学歴は高卒になりますね。

母と職場で出会い結婚して、
オーストラリア資本の物流会社に転職。
数年後、駐在員として、シドニーに赴任します。

私が物心ついたころから、
父が母にDVをしていた記憶があります。

ずっとDVをしていたのですが、
私が小学校4年生の時に一回激しいDVが起こり、
母と兄と私の3人で母の実家に逃亡しました。

父も追いかけてきて、
結局父と母の両サイドの父母と
O野さん(父が妄信していた方)という方交えて話合いました。

今後二度と暴力を振るわないこと、
生活拠点を日本に移すこと、
を条件になんとか離婚は免れました。

その後小学校4年生でシドニーから日本に引っ越し、
帰国子女枠で入れる、
お茶の水女子大学附属小学校に私は編入しました。
兄は附属中学校に編入しました。

肉体的なDVはなくなったのですが、
引き続き、精神的なDVは継続しました。

私が小学校5年生の終わりごろだったでしょうか。
父が体調を崩し、会社を休職し始めました。

小中高と、家に帰ってくると、
いつも父が居間にいました。
すごく嫌でした。

いつも父が居間にいるので、
友だちなんかも家に呼べません。

父が働いていないということを、
友だちに話すのもすごく嫌でした。

病人らしく部屋で寝てる分にはまだ良いのですが、

いつも居間にいて怒鳴り散らしています。


最初はうつ病だと診断されていたのですが、
ちゃんとしたメンタルクリニックで診察を受けていませんでした。
きちんとした投薬治療を受けていなかったんですよね。

O野さんという方から出されていた、

うつの薬と漢方薬だけ飲んでいました。

毎日の様に家の中で怒鳴り散らしてました。
ただ本当にうつ状態にある時は、
全く動けていませんでした。(数日単位で)

最終的に双極性障害という診断がつきます。
当時はまだ躁鬱病と呼ばれていました。

6年休んで、何とか寛解しました。(表面上は)
最初はアルバイトから始め、
なんとかその年齢でも稼げる仕事として、
タクシーの運転手になりました。

我ながらよく社会復帰出来たなと思います。

さて大阪から東京の実家に帰ってきて、
仕事のストレスや大阪という環境からは解放されたものの、
今度は「父」という大きなストレスが待っていました。

会話が通じません。
ある主張を持つと、それが通るまで、
自説を捻じ曲げないため、
話し合いにならないのです。

今の主治医が言うには多分、
大人の発達障害も合併してたのでしょう。

この記事に発達障害について触れています。

www.johnathantbipolar.com

 
説教や怒鳴り散らしもきついです。

結局私が復職してすぐの10月に、
また母に肉体的なDVをして、
母は千葉県にある祖母の家に帰ります。(その後離婚します)

私も二度目の休職に入り、
病気への理解を示してもらえず、
母がいる祖母の家に引っ越すことになります。

うまくまとめられませんが、
父というストレスが休職中、また復職後も二回目の休職に入った後もずっとありました。

3~4月の休職期間の過ごし方・体調の変化


2月の半ば頃から漢方薬を飲み始め、割と早い段階で効いてきて、精神の状態は比較的落ち着き始めた気がします。
ただ3月頃って季節の変わり目じゃないですか?
季節の変わり目って自律神経乱れやすくて、ただでさえ自律神経乱れて休職してる状態だったので、耳鳴りとか結構3月頃強かった思い出があります。

私、実は大学の頃母校で、就職活動アドバイザーをやっていた関係もあり、
母校のキャリア課の人達と結構仲良かったんですよね。
現状の報告やら相談がてら母校の大学に久々に行きました。
大学って割と楽しい思い出が多くて(遊んでばかりいて何もしていませんでしたが)、
そのせいか凄い爽快な気分というか良い気分になって、晴れやかになったのを覚えてます。
休職中の方で動ける方は、是非楽しい思い出のある場所を再び訪れるのをおすすめします!めっちゃパワーもらえます。

私の母校のキャリア課にはキャリアアドバイザー(就活関係の相談に乗ることを専門としている人たち)が数名いて、そのうちのH場内さん(元石油会社勤務の非常に優秀な方)に相談をしました。

休職して体調が戻ったら公務員試験でも受けようかと思っているという相談をしたら

「会社を退職するという選択肢は絶対最後の選択肢にしておくこと。
恐らく復職して最初の半年程度は残業とかはさせないだろうから、
その時期に公務員試験の勉強するのがよかろう。
仮に公務員という道を選ばなくても、まだ若いし、休職期間も短いから会社もまたチャンスを与えてくれるはず。」との回答。
後、楽そうだから公務員という選択肢を選ぶ人は多いけど、今は公務員も結構大変ですよ。って言われたのを覚えています。

やっぱり休職しても、戻れるなら元の会社に復職するというのが鉄則みたいですね。

当時まだ24歳とかだったんですけど、
人によっては浪人留年とかしてまだ学生やってる友だちもいて、
そういう人達に会ってもらってましたね。

公務員試験受けるなら特別区とかを考えてたんで、
高校の同級生のO島君という特別区で働いてる友だちに会って相談もしましたね。
「ぶっちゃけジョナサンだから言うけど公務員楽だよ笑
俺的にはジョナサンには公務員になって欲しい」と言われました笑

話脱線するんですけど、ただこの後O島君財務関係の部署に異動になって毎日終電とかになります。
H場内さんが言う通り、公務員も結構大変です。
特に民間企業と比べて優秀な人が少ないから、
優秀な人程激務な部署に行くイメージありますね今は。(ちなみにO島君も非常に優秀)

私切れ痔もちで、いぼ痔も再発してきて、切れ痔も治りにくくなってきたんで、
肛門科選びを3月末あたりしてました。

 

3月末位に、産業医と会ってみても良いんじゃない?
って主治医が言ってくれたので、人事に3月末連絡とって、
4月頭に産業医と面談しました。

3月くらいから週一位で近所の市民プール通いだしてました。

4月に入り、兄の結婚式に出席するのですが、
まあその頃にはそういうイベントにも出席できる程度の体調には戻ってましたね。

4月くらいから図書館とか通いだして、本読んだり、新聞読んだりしてました。

4月末に2回目の痔の手術受けました(結局失敗に終わる)。

5~6月の休職期間(軽躁もしくは躁状態)の過ごし方・体調の変化

さて、5月頃には痔の問題(4月末に痔の手術を受けたが、失敗)を除けば、
まあぶっちゃけ働けそうかなという体調になっていました。

というより、むしろ過活動気味になっていたり、過度に元気になっていました。

午前中買い物や料理をし、午後図書館に行って小説や新聞を読み、
夕方区民プールで泳ぎ、ととても休職している人とは思えない元気さでした。

つい5か月ほど前の体調考えたらちょっとおかしいですよね?


今考えると完全に軽躁状態もしくは躁状態ですよね。
多分あの時が、きちんと投薬治療を受けて躁状態を抑える、
最後のチャンスだったと思います。

メンタルクリニックで出された薬は必ず指示通り飲んでください。
私の経験を踏まえた上での心からの後悔です。
出された薬を飲んでるふりして、
飲まないということは絶対にやめましょう。

翌年の夏に本物の躁状態がやってきます。

あの頃の私を見て父も母も、
こいつちょっと元気過ぎないか?
ってことになんで気付いてくれなかったんでしょうね。
そこ気付いてくれてたら、
今こうなってなかったかもしれないのに。。。涙

一回休職とかして、
仕事から離れちゃうと中々気づかないんですけど、

・定時に起きて

・スーツ着てネクタイ締めて

・電車乗って通勤して

っていう一連の流れだけでかなり体力消耗するんですよね。

無理は禁物だし、あくまで主治医と相談の上ですが、
もし産業医とか会って、復職も視野に入ってきたら、
体力作りは必ずしましょう!

30分の散歩を緩急つけてやれって私は産業医に言われたんですけど、
その程度じゃ全然足りないです(笑)

あくまでお金があればですが、
市営のプール行ったり、ジム行ったり、
有酸素運動するのがおススメです。(週2~3回)

7~8月の休職期間(軽躁もしくは躁状態)の過ごし方・体調の変化


まず何を考えていたか。

三回目の産業医面談(7月の頭)で、
四回目の産業医面談(8月の頭)で復職先が決まることになりました。

もう不安で仕方なかったです。
異動先の部署が大阪になる可能性もあったんで。。。。

もう色々な考えが頭をはり巡り、
・異動先が大阪になったらどうしよう とか
・そしたら会社辞めて公務員試験にシフトしようか とか
・いや、もういっそ会社辞めて、無職になって転職活動しようか とか

異動先が東京本社になったんで結果オーライだったんですけどね。

私心配症なんで、先行不安とかすごいんですよね。
ちょっとうつっぽくなってました。(うつ病的な症状ではないやつ)

色んな人に相談した気がします。

Y水君という友人にも相談しました。

私「今また今後の進路で悩んでて、うつっぽくなってる。会社やめることも検討に入れてる」

Y水君「ニートになってどうすんだよ!!俺がジョナサンだったら会社辞めるって選択肢はない!!ジョナサンがやんなきゃいけないことは、とりあえず会社に戻ること!! うつっぽくなってんのも今何にもしてないからだよ。公務員試験なんて半年やれば受かるんだから、戻って合わなかった時に考えればいいじゃん」

その通りでしたね。持つべきものは良い友だちですね。

まあY水君が言う通り、
復職先がどこの部署になろうと、休職したらとりあえず元の会社に戻りましょう。
辞めるのは最後の手段にしてください。
経験者である私のアドバイスです。

そんなこんなで、四回目の産業医面談(8月頭)で東京本社に異動できることに一安堵。
復職時期も8月末に決まります。

そうするとね、今度は別の感情が沸き起こってくるんですよ。

これ長期休職者あるあるだと思うんですけど、
復職時期が近づくにつれて、
本当に(本当に)復職すること(また働くこと)が嫌になってくるんですよね。

うわ~8カ月も休んでまた仕事なんかできる気しねーよ。 とか
復職して、また前の部署で関わりあった人たちと会うの気まずすぎる、、、 とか

個人的な感覚ですけど、
多分休職3か月くらいまでだったらそんなに復職するとき、
おっくうにならないと思います。

休職期間が長くなればなるほど、その分復職するときのハードルって高くなるんだなって思いました。

無理は絶対に禁物ですが、これ戻れそうだなって感じたらなるべく早めに復帰した方が良いと思います。経験者談です。

気を張り付めて受験とかテストとか何かイベント乗り越えた後って、原因不明の風邪引いたりするじゃないですか?

それとはちょっと違うんですが、復職間際(正確に言うと大阪に引っ越し準備のために戻る際)に原因不明の心因性(笑?)の風邪引きました。
夏なのに。
よほど心と体が復職を拒んでいたんでしょう。

考えていたこととかはこんな感じでしたね。

過ごし方なんですけど、
今考えると相変わらず軽躁(もしくは躁)状態でした。

午前中、買い物行って料理作って、午後図書館行って本読んで、
夕方から区営プールで泳いでって。
いや、おかしいでしょ。
仮にも体調崩して休み入った人が、
こんな元気になるっておかしいでしょ。

なんで私の両親は、
私が過度に元気なのに気づかなかったんでしょうね。

結局、この軽躁(もしくは躁)状態の反動がまた冬に来るんですけどね。

8月の半ばに久々に大阪に帰りました。
借り上げ住宅にある荷物の引っ越しetcのためです。
多分1週間いました。

大阪っていうても狭いんで、会社の人にばったり遭遇したら嫌だな~、
って思ってたら案の定K塚さんという先輩に江坂駅近辺で遭遇しましたね。
私に気づいてないふりしてくれてたんで、本当にあの時は感謝です。

1週間いる間、まあ会っておきたかった人が二人いて、
両方とも私が大阪に配属になった時、
一緒に大阪配属になった同期なんですけど。
(N崎さんという女の子とS木君という男の子)
結局N崎さんは会えず、S木君とは飯食ったりしましたね。
両方とも世話になりましたしね。

後は、
・引っ越し業者に見積もりしてもらったり とか
・ウォッシュレットの取り外し とか
・家電の売り払い とか
・引っ越し用の荷物まとめたり とか
・電気/水道/ガス止めたり とか
・住民票移したり とか
・ 不用品の廃棄 とか
・退去の立会い とか

まあ所謂引っ越しに必要なことを一通り、
一週間かけてやりましたね。
めんどくさかったのと、疲れました。

引っ越しって人生のめんどくさいイベント、ベスト5に入りますよね。

そんなこんなで東京に帰ってきて、
自動車免許の住所の書き換えやったり、
住民票移したり、
正式に東京都民として東京に戻ってきました。
(約一年半後、今度は千葉県民になるんですけどね笑)

その一週間後の8月末から、
いよいよ試し出勤のスタートです!

今当時を振り返って思うこと、伝えたいこと

本人は軽躁(もしくは躁)状態にあることに気付かない

今はもう双極性障害という診断が私に下って、自分なりにも双極性障害について色々と勉強しました。

予備知識があれば今自分が軽躁(もしくは躁)状態にあることに気付けるんですけど、予備知識がないと困りますね。

過活動気味になってたり、過度に元気になってたり、ハイになってる自分が軽躁(もしくは躁)状態であることに気付けません。

というよりむしろ、これが本来の自分なんだと認識していました。

うつ病もですけど、双極性障害も家族や友達からのサポートやチェックが非常に大切です。

うつ病だと診断されていた人が急に元気になってる時には要注意です。

うつ病で最初診断が出ていたけど、後々になって双極性障害に診断が変わることも多いです。

本人がちょっと元気過ぎることを伝えてあげたり、もしくは家族の方であれば本人と一緒に、主治医の精神科の先生に話をしたりすることが出来れば、必ず良い意味で対応や診断も変わると思います。

本人の病気への理解も大事なのですが、それと同じくらい家族や友達の病気への理解が大事です。

メンタルクリニックで出される薬は必ず飲むこと

一回目の休職時に、私はメンタルクリニックで出された薬を飲んだふりして、飲んでいませんでした。

私が精神科の薬を飲むことに抵抗があったのと、

両親(特にクレイジーな父親)が精神科の薬を飲むことに猛反対したからです。

あの時ちゃんと薬を飲んでいたら、双極性障害だということがもっと早く判明していたかもしれません。

双極性障害の人にうつの薬を出すと躁転することが多く、そこで双極性障害だと判明するケースも多い)

双極性障害だということが判明していたら治療内容(投薬する薬の種類)も変わっていたかもしれないです。

そうしたらその後大きく躁転(この一回目の休職の翌年の夏)することもなく、今も会社員を続けられていたかもしれません。

投薬治療を受けることに抵抗がある方の気持ちはよくわかります。

しかし、現状日本の精神科領域での治療は、投薬治療に依存している以上、

寛解させるのに欠かせないものとなっています。

投薬治療を受けても寛解するとは限りません。

私は3年半投薬治療を受けていますが、まだ寛解していません。

しかし、投薬治療を受ける前よりかは具合が良いです。

どうしても薬を飲むのに抵抗がある場合は、きちんとその旨を主治医に伝えてよく話し合って下さい。

もしかしたら投薬に頼らない治療を受けることが出来るかもしれません。

一番良くないのは、主治医の方は、出している薬をちゃんと患者が飲んでいると思っているのに、患者本人が飲んでいないケースです。(昔の私です)

また体調が悪くなった時に、今更「ずっと薬飲んでませんでした」なんて言えなかったです。

二回目の休職に入って、本当にヤバいレベルで具合が悪くなって「これは流石に投薬治療受けないとまずいな」と自分でもわかってても、引っ込みつかなくなってしまって、結局ヘビーな症状に半年ちょっと(東京都から千葉県に引っ越すまで)薬抜きで耐えなければいけなかったです。

 千葉県に引っ越してから転院したのですが、いつまでもネチネチ「ジョナサンさんは前のメンタルクリニックで薬飲んでなかった」と言われる羽目にもなりました。

以上の理由もあって、メンタルクリニックで出される薬は必ず飲みましょう!ということが言いたかったのです。

 

この記事が誰かの参考になりますように。。。

 

それでは!