johnathanTのブログ〜双極性障害について〜

どうも!ジョナサンのブログです。精神疾患を患ってる方へのサポートが少しでも出来るようなブログを発信していこうと思います。

復職してからの半年を振り返って思うこと<1ヶ月間の試し出勤の後>

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こんばんわ!ジョナサン(Twitter:@Johnathan_cbf)です!

 

試し出勤についてはこちらの記事に詳しく書いています。

www.johnathantbipolar.com

 

前回記事にも書いたのですが、

1ヶ月間の試し出勤(仮復職)をして、無事復職OKの判定が出ました。

9ヶ月休職していたことになります。

(実際は、欠勤3ヶ月の休職6ヶ月)

 

2014年10月1日からの本復職です。

10月1日の朝一に総務人事部の所に召集されました。

復職や新部署への異動が辞令として総務人事部長から出ました。

 

過去の記事で何度も書いているのですが、

休職前は大阪支店で営業職をしていて、

復職後は東京本社で営業事務職に異動になっています。

 

「会社は長い目で見て、社員からのパフォーマンスを引き出してもらいたいと考えているので、とにかく無理して頑張ったり焦ったりする必要は無いですから」

と総務人事部長直々に言われました。

 

さてメンタル疾病が原因で休職して、

復職してからの業務量の増やし方や扱いについて気になる方も多いと思います。

 

復職してから最初の半年の

・仕事面の話

・体調面の話

・プライベート面の話

・当時を振り返って思うこと

について書いていきたいと思います。

 

この記事はこんな方におススメです。

・現在休職中の方

・これから復職される方

・部署異動や配置転換をした上での復職をされる方

・営業職から営業事務職に配置転換した上で、復職される方、復職したい方

 

 

復職してからの仕事面の話

給与の話

元いた会社では転勤ありコースと転勤無しコースがあって、転勤ありコースは転勤してるして無いにかかわらずまず転勤手当てが出てたんですね。

休職して一定期間経過すると、自動的に転勤ありコースから転勤なしコースに落とされる(?)んですよ。

それでまあ私は転勤なしコースになったんですけど、

転勤手当がまず消えました。

あと、営業職の人は営業手当がつくんですけど、

復職後の私は営業事務職だったんで営業手当も消えました。

出張もしないんで出張手当も消えました。

復職して最初の月の給与の手取り見た時、正直「なんじゃこりゃ?!」ってくらい薄給になってましたね。

残業代で稼ごうとしても、業務量が少ないから残業しようにも残業できないし、

冗談とかじゃなく営業事務ショックでしたね(笑)

 

元いた会社は化学メーカーで、メーカーの水準では給料高い方だったんですけど。

まあ、営業職だったころは激務そこそこの給与で、営業事務職についてからはまったり薄給という感じになりましたね。

 

復職してから色んな人達が訪れてくるようになる

復職して間もないころ、仕事しててぱっと後ろ振り向いたら、あの人が立ってたんですよ。大阪支店いた頃の部署の部長さんが(W部長として過去記事には記載していましたが)。

私「どうも。。。。ご迷惑おかけして本当申しわけございませんでした」

W部長「お前痩せたなあ。。。」

私「休職し始めの頃あんま飯食ってなくて、10kg位痩せました」

W部長「まあここがお前の新しい門出や」

握手して別れました。

W部長は仕事の関係でしょっちゅう東京本社に来ていたので、その後も割とよく会って話したりしました。

同じ部署いた頃は正直苦手だったんですけど、

部署離れて距離置くようになると「結構いいやつじゃん」って思えるようになったのは不思議な話ですね。

部長だけじゃなくて、当時の上司だったN村さんが私の後任になった人連れてきてくれたりしましたね。「お客さん皆ジョナサンのこと気にしてるから」って感じで。

 

他にも、大阪支店で絡みがあった人達が東京本社に出張にくると、

結構訪ねてきてくれて「久しぶり~」みたいな感じで話したりしましたね。

 

最初は無視したり、目を合わせてなかった、東京本社にいる知ってる人達も、

復職してからは、

「戻れてよかったな」とか

「また頑張れよ」とか

「人には向き不向きがあるからな」とか

向こうから声かけてきてくれましたね。

前回記事でも書きましたが、勇気がいるのはわかるんですけど、

復職後に知っている人に再会したら自分から声かけましょう。

業務量の変化

さて、本復職してからの業務量の変化です。

最初の半年は正直、そんなに増やされなかったです。

結構余裕ありました。

試し出勤の頃に担当していたユーザー二社から、そんなに担当も増えませんでした。

ただ一つ、大きいプロジェクトの責任者に任命されたくらいですかね。

 

当時、本当の東京本社が改築工事をしていて仮のビルで場所借りて仕事してたんですよ、元の会社。

それで2014年の5月の連休明けから新しくなった本当の東京本社に移転という予定で元々いて。

その移転をするにあたっての、私が所属していた事業部全体での引っ越し関係の仕事の責任者に任命されました。

 

最初任命された時「うわ、こんなん出来んのかよ」とか思ったんですけど、

実際やってみたらそんなに難しい仕事でもなくて。

色んな人に協力してもらえたんで。

 

てな感じで復職してから最初の半年は結構暇もてあましてましたね。

多分バリバリ仕事したい人とか、プライド高い人とか、出世欲強い人とか、

結構ストレス感じると思います。

もう私は「落ち着くべきところに落ち着いたんだな」って達観してました。

 

仕事中に転職サイト見てるのがバレて一時干される

最初は仕事中に暇だった時、yahooニュースとか見てたくらいなんですけど、

段々エスカレートしてきて、2ちゃんねる見たり、転職サイト見始めたりしだしたんですよね。

別に転職したかったわけじゃないんですけど、

やってる仕事に面白味が見いだせなくてどうしても他の仕事も見てみたくなってしまって、、、悪気はなかったんですよ。

でまあそういうことしてたら、所属部署の部長さんに誰かが密告して、しばらく干されました。(笑)

昼ご飯いっつも一緒にいこうって誘ってくれてたんですけど、

声かからなくなりました(笑)

 

「あいつとんでもねえやつだな」とか

「あれでも元営業でしょ?誰が教えてたんでしょうね」とか

「学校でやっていいこととやっちゃいけないことを教わってこなかったんだろあいつは」とか

「大学何もしないでチェーン店でバイトだけしてたから、お前はだめなんだよ。だから今営業事務なんかやってんだよ」とか

結構聞こえる感じで偉い人達が話してたり、

私にダイレクトに言ってきたりしましたね。

 

営業職やってたころ、いつも人事評価Aだったんですけど(AからEまである)、

転職サイト見てるのがバレた期の人事評価Cにまで下がりました(笑)

 

当時の形式上の上司と年賀状のやり取りをして、

「まずはジョナサンさんは目の前にある仕事に集中しましょう」

と書かれてました。

 

あとは忘年会の時にM越本部長(こないだ検索したら今は執行役員になってました)直々に呼び出されて、

「お前に上も期待してんだよ!お前ならちゃんとやってくれるだろうなって思ってるから、お前に引っ越しの責任者やらせてんだよ!」

と諭されました。

 

流石にM越本部長にまで諭されたらちょっと人として俺まずいなと思い、

翌年から真面目に業務に取り組むようになりました。

手空いてたら積極的に他の人の仕事手伝うようになりました。

 

まあ私が真面目に仕事に取り組んでいる姿勢を見て、

干されなくなって、また評価してもらえるようになりました。

 

復職してから、たとえどんなに暇だったとしても、当たり前ですが、2ちゃんねるや転職サイトを見るのはやめときましょう。

営業に戻って来いよコールが方々からかかる

まず復職してすぐ私の歓迎会がありました。

私はしゃべりだけは立ちます。

皆私の話聞いて爆笑してました。

その様子を見て、K崎課長(私の形式上の上司)から、

「ジョナサン君は是非うちの営業に欲しい。営業に戻りたくなったらいつでも言って!」

と言われ、

「うわ、早速かよ、、、」ってなりました。

 

他にも大阪支店の頃の別部署の営業の先輩が東京本社に来て、

一緒に昼ご飯食べた時がありました。その時も、

「夜の付き合いきつかったのはよくわかるけど、それはあの部署だったからそうだったんや。他の営業部はあんな夜の付き合いないで。営業戻って来いよ」

とか言われましたね。

 

忘年会の時も、

「お客さんとの折衝の方法を営業事務職としても学んでおけば、将来営業戻った時とかも楽じゃない」とか一緒に仕事してる営業マンに言われたり、

別の営業マンで大阪支店いた頃から知ってる先輩に、

「営業戻ろうよ」ってダイレクトに言われたり、

K崎課長から「今ぶっちゃけ楽勝でしょ!?営業戻ろうよ!!なんで戻んないの?!」

って言われたりしましたね。

 

会社は、休職してしまっても、こいつは営業職に戻したいなって人は、一時的に営業事務職に復職先として、戻すんだなと思いました。

多分営業職とかに戻さす気0な人とかだと人事とか総務とかに復職させるんだと思います。

復職してからのプライベート面の話

両親の離婚

私が復職してすぐ、クレイジーな父親が母親に肉体的なDVを再びしました。

クレイジーな父親がどんな人かは、以下の記事に詳しく書いています。

www.johnathantbipolar.com

 

母はそのまますぐ東京の家を出て、祖母の家に引っ越しました。

割とすぐ離婚しました。

別に離婚するのは構わなかったんですが、

家にいるのが私と父の二人になったのが究極に嫌でした。

なるべく同じ屋根の下にいる時間を作らないようにしてました。

夜も友だちとご飯食べにいったり、土日も出歩いてました。

クレイジーな父親からの被害を被りたくなかったからです。。

 

復職してからの一番のストレスは、父との生活でした。

というより、二回目の休職に入って、私も祖母の家に引っ越すまでの約一年半の最大のストレスでした。

 

 久々に東京の友人達と再会する

2012年4月~2014年9月までの間(大阪支店にいた期間+休職してた期間)に会えてなかった友人達と久々に会ってました。

高校の1年生の頃のクラスの同窓会に行ったり、高校の剣道部のOB会に行ったり、まあ大阪いた頃には行けなかった会にも行けるようになりましたね。

まだその当時(みんな社会に出たばっかの頃)ってうつ病とかに理解ある人少なくて、うつ病になったこと(今考えると双極性障害うつ状態かもだけど)カミングアウトしたら思いっきり引いてる友人とかいましたね。

営業職やってた頃、疲れ過ぎて土日ずっと寝てたりとか、平日も夜の付き合いで埋まってたりしてあんまプライベート充実してなかったんですよね。

営業事務職になってから体力的にも精神的にも余裕できて、仕事終わりに友人とご飯行ったり、土日に友人と会ったりプライベートの方は充実してましたね。

復職してからの体調面の話

軽躁(もしくは躁状態)から再びうつ状態

寒くなった11月くらいからかな?

来ましたよ。夏過度に元気だった反動が。

常に若干ゆううつな気分なんですよね。

12月あたりから耳詰まったりして、

あれこれやばくね?ってなったの覚えてます。

あのコンディションで営業職とかやってたらちょっとやばかったかもしれないです。

本当に復職先が比較的仕事楽なポジションだったのは助かりましたね。

 

胃が常にムカムカする

当時付き合ってた女の子がいて(休職中の途中から付き合ってた)、

結構精神的に追い詰めてくるタイプだったんですよね。

早く別れたかったんですけど、タイミング逃がしちゃってたのと、

次付き合う候補の子が見つかるまでは、惰性で付き合っておくかみたいな感じで、

ズルズルと付き合い続けてしまっていました。

年末年始で一緒に旅行いったんですけど、

その子が食べれなかった分まで無理して食べたあたりからかな?

常に胃がムカムカするんですよね。

多分その子からの精神攻撃のストレスもあったと思います。

 

私、一回目の休職に入る前、夜の付き合い多すぎて、逆流性食道炎慢性胃炎になってるんですよね。

だからそれが再発したのかなとか思って。

一ヶ月とか経って、医者で薬もらっても気持ち悪いのが取れないんで2月の頭に胃カメラ飲みました。

その時24歳だったんですけど、24歳で胃カメラ二回目やってる人ってあんまいませんよね(笑)

胃カメラ取ると、不思議と問題ないんですよ。

ちなみに私胃カメラ鼻からも口からも検査したことあります。

胃カメラは口から検査した方が楽です。

 

まあその時期位に、次の彼女候補みたいなんが見つかったんで、

その時の彼女とは別れました。

別れた頃位からまた胃の気持ち悪さが取れてきたので、

あれは心因性だったのかなーと今になって思います。

 

あの胃の気持ち悪さの状態で結構バリバリ仕事させられてたらきつかっただろうな、と思います。

上記でも書きましたが、本当に復職先が比較的仕事楽なポジションだったのは助かりましたね。

3月位からまた軽躁状態

11月位から2月くらいまでずっと軽い抑うつ状態だったんですけど、

3月くらいからまた気分がすっきりしてきました。

双極性障害って本当に何回も同じ病相繰り返すんですね。

でも当時は自分が双極性障害だという認識は無かったです。

復職してからの最初の半年を振り返って思うこと

休職したら、転職とかはせずに、一旦元の会社に復職しましょう

一回メンタル疾病で体調崩して復職することになるとします。

その状態って例えて言うと、ガラス製のコップを落として割って接着剤でくっつけ直した状態でまた使うって感じなんですよね。やっぱ壊れやすいですよね。扱い方によっては。

復帰後いきなりバリバリ働くのは厳しいかなと思います。私は双極性障害抑うつ状態に入りましたが、普通のうつ病の人も寛解した後でも、割とすぐ、季節の変わり目とかその他のストレスが原因で具合悪くなったりもあると思います。

K合君という、うつ病で休職・復職した友人も業務量増えるとうつの症状出る言うてました。特に戻って最初の半年位って、結構デリケートな時期だと思います。

元の会社に復職すれば、最初の半年位(私の場合は最初の半年位)は業務量結構少な目にしてくれると思いますし、色々と配慮をしてもらえると思います。

病院(メンタルクリニック)行きたい時とかも理解を示してもらえると思います。

ですので、戻れるのであれば、休職したら一旦元の会社に戻ることを私はお勧めします。

営業職のやりがいと営業事務職のやりがいのなさ

私は営業職への適性がないということを分かった上で書きますね。

営業って頭も体も気も金も使う、本当に大変な仕事ですよね。

けど、営業事務職に部署異動になってから、

「営業職って適性ある人からすると、最高の仕事なんだな」

って思うようになりました。

 

ぱっと営業の良かったこと思い返すと、

・出世しやすい

・社会勉強ができる

・色んな経験が積める

・毎日充実してる

パワポ/エクセル等のパソコンスキル含め、色んなスキルが身につく

・商社の経費でキャバクラとかクラブに行ける

・旨いものが食べれる

・語学力が生かせる

・海外駐在のチャンスがある

・海外出張のチャンスがある

 

営業職やってた頃(もう7年とか8年前になりますが)どういう仕事してたのか、いまだに覚えてる案件とか結構ありますからね。

この時期は何してたとかあの時期は何してたとかぱっと思い出せるんですよね。何年も経ってるのに。

中身がそれだけ濃かったんでしょう。

 

ところが営業事務職やってた頃(5年とか6年前?)何してたかって全然記憶にないんですよね。

同じ毎日の繰り返しで、その毎日も薄っぺらくて。

あの仕事を新卒で入社してから何十年単位でやれてる人尊敬ですよ。

飽きないの?って単純に思います。

まあ営業職何十年単位でやれてる人も別の意味で尊敬ですけど。

 

私は残念ながら体力・キャパ・メンタル・社交性全てにおいて営業に不向きでした。

それでも営業職も営業事務職も経験した上での、営業職の良さがよくわかりました。

9ヶ月程度の休職なら、またチャンスをもらえる

正直試し出勤とかする直前までは、

「もう昇格の余地は薄いんだろうな」とか

「会社からしたらいらない人間なんだろうな」とか

思ってました。

 

会社によるのかもしれませんが、9カ月程度(私程度)の休職ならまたチャンスをもらえます。

私は、結局また激しい躁状態→激しいうつ状態に陥って、二回目の休職に入りましたが、復職後に体調を崩さず地道にやっていければ、元休職者でも全然チャンスもらえると思います。

チャンスとは具体的に言うと、昇格や海外駐在などです。

昇格試験を2016年の2月に控えていたのですが、

私の実質上の上司が「対策すれば受かるチャンス全然あると思うよ」と支持的に応援してくれてまし、別の部署の部長さんも「休職してたかどうかなんか関係ねーよ!大事なのは今なんだから受かれよ」って言ってくれました。

 

海外駐在に関しても、営業職の先輩から「ジョナサン君海外トレーニーとか行きたくないの?」とか聞いてきたりしましたね。

 

躁状態で2015年の7月頃タイに一人で昔の上司のM國さんを訪ねに行きました。

その時また営業職に戻って海外駐在したいって話をしたら、

「お前の場合英語が出来るから、仮に今から営業職戻っても他の先輩達より早く駐在できると思うよ」と言ってくれました。

 

直会社によりけりですね。

私の叔父が資〇堂で(Google Adsenseの関係であんまり企業名出したくない)部長まで行ってたんですけど、あの会社は休職しちゃうと、もういらない人扱いらしいです。

 

そうじゃない会社なら9カ月くらいの休職なら、またチャンスをもらえると思います。

 

この記事が誰かの参考になりますように。。

 

それでは!