johnathanTのブログ〜双極性障害について〜

どうも!ジョナサンのブログです。精神疾患を患ってる方へのサポートが少しでも出来るようなブログを発信していこうと思います。

帰国子女の英語の維持が如何に大切か維持出来ていなかった私が語る!

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2022.2.14更新

お世話になります!ジョナサン(インスタグラム:@mayo_english_gram、TikTok:@mayo.cbf)です!

今回の記事では、帰国子女の英語の維持が如何に大切か維持出来ていなかった私が語ります!

自己紹介させてください。
31歳男性で、双極性障害の治療中で、フリーランスで中学生や社会人相手に英会話を教えています。
父の仕事の都合(オーストラリア資本の物流会社に勤務。そのためシドニーに駐在。)でオーストラリアのシドニーで生まれ、9歳半まで育ちました。
小学校4年生の2学期に日本に帰国。
帰国子女枠でお茶の水女子大学附属小学校編入しました。

私の英語力なのですが、所謂欧米ネイティブと同等レベルではないですが、普通に話せます。
TOEICだと955点です。

小学校4年生の2学期~小学校5年生の3学期まで、帰国児童教育学級に所属していました。
また、私はお茶の水女子大学附属中学校に進学したのですが、附属中学校から、帰国子女枠で編入してくる子達もいました。
高校から日本に帰国してきた子も含め、色んな帰国子女を見てきました。

 

ご興味ありましたら、ご参考までに!

www.johnathantbipolar.com

 

さて、英語の維持が出来ていなかった私や同級生の体験談や、

逆に維持や向上をしていた同級生達の話も書いていこうと思います。

 

この記事はこんな方にオススメです。

  • 帰国子女の方
  • 帰国子女の保護者の方
  • 帰国子女を受け入れている学校の先生の方
  • これから海外の現地校に子どもを通わせる予定の方
  • 海外に滞在していて、今後日本に帰国予定のある保護者の方

英語の維持をしていなかった私の英語のBefore After

日本に帰国する前の私の英語

私上記に書いてある通り生まれてから小学校4年生の2学期までシドニーで過ごしてました。

小3位から英語でやり取りする上で不自由することはなかったのですが、

当時まだアクセントはジャパニーズだったのと文章力とか語彙の数はローカルのオージーに引けを取っていました。

小3の半ばか終わり位から、英語の家庭教師(元々英語の先生やってたオージーのおばさん)付けてから劇的に英語が上達しました。

小4の日本に帰国する手前頃には、表面上はオージーとそんなに変わらない程度には話せてたし、アクセントもオーストラリア訛りになっていたと思います。

ただ、どうしても文章力や語彙や言い回しの数は家でも英語話してるオージーには負けてしまいました。

日本に帰国してからの私の英語~小学校編~

さて、帰国子女の家庭には2タイプあります。

①日本にいるのだから日本語力の向上に力を入れる家庭

②英語力の維持や向上にお金や時間を惜しまず投入する家庭

私の家庭は①の家庭でした。

英会話教室に、帰国児童教育学級で一緒だった子2人と週一で通っていましたが、

もはや週一程度では英語力の維持にすらなりませんでした。

どんどん私含め他2人の英語も落ちていきました。

母親曰く、

私は加速度的に日本に帰国してから、日本語が上手くなったものの、

それと同じスピードで英語力も落ちていったそうです。

結局中学受験のタイミングもあり、小6の半ば頃には英会話教室も退会しました。

この頃はまだ「英語を話せる」能力がありました。

日本に帰国してからの私の英語~中学校編~

さて、小6の半ばで英会話教室を退会して以降、英語を話す機会を完全に失くしていました。

英語の授業はありましたが、ご存じの通り日本の英語の授業は、スピーキングはやりません。

「英語を話す」ことを全くしていませんでした。

ところが、中3になってから英会話の授業を選択性で選ぶことが出来たので、

選択しました。

もうその時点で、本当に帰国子女だったのか怪しいレベルにまで、「英語を話す」能力を失っていました。

リスニングとかは完全に理解出来るのですが、こっちの言いたいことが英語で出てきません。

それでもこの時点では、簡単なやり取り位はまだ出来ていました。

日本に帰国してからの私の英語~大学編~

さて、結構時間は飛んでしまうのですが、大学生になりました。

大学1年生の終わり頃、シドニーに戻りたくて、住んでた当時仲の良かった友達の家に泊めてもらい、11日程ぶらぶらしていました。

家に泊めてもらった友達をTとしましょう。

Tが普段つるんでるアジア系のオーストラリア人達と一緒にぶらぶらする事が多かったのですが、もう彼等が何言ってるか分かりませんでした(笑)。率直にわけわかんなかったです。

英語もほとんど話せなくなっていました。

言いたい事が全く英語で出てきません。

Tとは別のBという友達に誘われたパーティで超タイプな子がいて、

同席する機会があったんですけど、

英語で「可愛いからもてるでしょ?」って言いたかったのに、

それすら英語で出てこなくて凄い悔しかったです。

 

以上の様に、帰国子女は英語の維持をきちんとしていないと、元はペラペラでも9年の歳月が経つ頃には、英語が話せなくなるまで英語力が転落します。

英語の維持をしていなかったAの英語のBefore After

日本に帰国したばかりの頃のAの英語

Aという子がいます。帰国児童教育学級に同時期に編入してきた子です。

私と同じく、

①日本にいるのだから日本語力の向上に力を入れる家庭 でした。

アメリカ生まれ(だったかな?)・アメリカ育ちで、バリバリのアメリカ英語を話していました。アメリカで飛び級とかもしていたらしく、同時期に編入した7人の帰国子女の中で当時一番英語のレベルが高かったです。

最初英語と日本語ごちゃごちゃで話していたのですが、「あ、こいつ英語俺より上だわ」って思ったのを未だに覚えてます。

上記で英会話教室に通っていた話を書きましたが、一緒に通っていた2人の内の1人です。

日本に帰国してからのAの英語~小学校編~

彼は結局小5の3学期を持って、他県に転校してしまいました。

実質一緒に英会話教室通っていたのは、1年と2学期間位ですかね?

たったそれだけの期間でもね、元の彼がどれだけペラペラだったか知ってただけに、

加速度的に彼も英語力を失っていくのが、一緒に教室通ってて痛感しました。

それでも、他県に転校する前の段階では、私と同じく、「英語を話せる」能力はまだ保っていました。

日本に帰国してからのAの英語~大学編~

彼が転校してから、長い間連絡を取っていませんでした。(英会話教室や帰国児童教育学級で一緒だっただけで、特に仲は良くなかった)

久々に連絡を取り合うようになったのは、大学生になってFaceookで繋がってからです。

彼のWallに書かれてる彼の英語でのつぶやきを見て、正直愕然としました。

「お前、あんな英語ペラペラだったのに、こんなに下手になってしまったのか。。。」

と思いました。

正直帰国子女の書く英文ではなく、純ジャパやちょっと海外留学してた位の人の、英文でした。

恐らくですが、「英語を話せる」能力はもう失ってしまっていたと思います。

 

繰り返しになりますが、以上の様に、帰国子女は英語の維持をきちんとしていないと、元はどんなにペラペラでも9年や10年の歳月が経つ頃には、元の英語力が嘘だったかの様に英語力を失ってしまいます。

英語の維持や向上をしていた帰国子女達の英語のBefore After

ここでは、上記で書いた、

②英語力の維持や向上にお金や時間を惜しまず投入する家庭

の帰国子女達を紹介していこうと思います。

アメリカ育ちのMの英語

私が所属していた帰国児童教育学級でMという子がいました。

私が編入する時期よりも1学期早く帰国児童教育学級に編入していました。

私が編入した当初は、正直別に上手いとも思わなかったし、私の方が上手かったと思います。

ただ彼女は英語力の維持や向上のために、ネイティブの先生を付けて、週何回もレッスンを受けたり、姉とは英語で話すと言っていました。

差をはっきり感じたのは中3の頃ですね。

中3の頃同じクラスでした。

彼女も上記の英会話の授業を選択していました。

いざ授業が始まるなり、もうネイティブ(中3のレベルで)顔負けに英語を話し始めました。

中3のクラスに中学校から編入してきた帰国子女達もいたのですが、

彼女達と遜色ないレベルで英語を話していました。

英語の維持や向上をやってるかやっていないかで、ここまで差が生まれるんだと悲しくなりました。

彼女はその時点ではまだ英語で結構物事を考えると言っていました。

結局、親の仕事の都合で高1(だったかな?)でアメリカに転校しましたが、

恐らく授業にも全然ついていけてたと思います。

アメリカ育ちのEの英語

Eというアメリカ育ちの子が同じ帰国児童教育学級にいました。

彼女は私と同時期に編入しているので、帰国した当初の英語はよく覚えています。

同じ位だったと思います。

親伝いにしか聞いていないので、どうやって英語の維持や向上をしていたのかは、わかりませんが、上記のMと同じ感じでしょう。

長期休暇の度にアメリカに帰って、住んでた頃のアメリカ人の友達と会ってるって話をしていたのは覚えています。

はっきり差を感じたのは、大学に入ってFacebookで繋がった時です。

彼女のWallに書かれてるつぶやきを見て、「あ、これ完全ネイティブに近いレベルで文章書けてるわ」と思いました。

帰国した当初の英語力が同じ位だっただけに、凄い悔しかったです。

シドニー育ちのSの英語

当時私がシドニー住んでた頃、現地校にもちらほら日本人がいました。

その同学年の子で、私より1学期早く日本に帰国したSという子がいました。

確か帰国した時点では、そんな英語めっちゃペラペラなイメージなかったし、

むしろアクセントとか結構ジャパニーズだった気が。。。

そんなSもわざわざ会う程の仲では無かったため、

久しぶりに繋がったのが大学入ってFacebookで繋がった時です。

親同士が仲良いんで、英語の維持や向上に力を注いでたって話は聞いてはいました。

私「俺もう英語全然しゃべれなくなっちゃったよ~、Sどう?」

S「私はほどほどにまだしゃべれるよ!今大学教授に英語教えてる!」

差付きすぎだろ。。。

てか元の英語力考えたら、英語力向上し過ぎだろ。。。

そんな人に英語教えられるレベルじゃなかったじゃんあんた。。。

って思いました。

 

以上の様に、英語力の維持や向上にお金や時間を惜しまず投入する家庭の帰国子女は、

帰国してから9年、10年経っても元の英語力と同等もしくはそれを圧倒的に上回る英語力を維持しています。

一度失った英語力は、取り戻す努力をしても、完全には元通りには戻らない

さて、シドニーに9年振りに帰り、「英語を話せる」能力をほとんど完全に失った私でした。

しかし、そこからそこまで積極的な努力はしなかったのですが、英語力を取り戻すための努力を大学卒業する位まである程度はしました。

具体的にやったことは

  • 上智大学に留学しに来てる日系アメリカ人の女の子と、毎週会って英語で話す
  • その女の子通じて日本に留学しに来てる外国人と仲良くなって英語で話す
  • 海外ドラマを英語字幕で沢山見る
  • 仲良くなった日系アメリカ人の女の子の家(シカゴ)に一週間程泊まりにいく
  • その日系アメリカ人の友達と英語でつるむ

等を大学2年時にとりあえずやりました。

シドニーに戻ってから7ヶ月間の間に上記のことをやりました。

その後、韓国に1週間程行きました。

シドニーに戻った際に仲良くなった韓国系オーストラリア人達と合流しました。

その時点で、「Your English improved heaps!(お前めっちゃ英語上手くなったよ!)」

と皆から驚かれました。

 その時韓国のゲストハウスに泊まっていたのですが、同じ部屋に泊まっていたポーランド人の女の子とエッチーことをするための交渉が出来る程度には英語話せる様になってました。

とりあえず「英語が話せる」能力は取り戻しましたが、私は全然納得のいくレベルでは無かったですし、めっちゃ下手でした。

大学4年になってから、

  • 3週間程ヨーロッパに行ってほとんどの時間を英語で過ごす
  • 韓国人(イギリス育ち)を2週間ほど家に泊めて、ぶらぶらする
  • 映画を英語字幕で見まくる
  • ラオスに一週間程行って、ほとんど白人と英語で過ごす

等をしました。

そこまでやった結果、

日本人レベルでは「堪能」「ペラペラ(人によっては)」「めっちゃ上手い」、外人レベルでは「英語上手いね」「どこの国の人なの?」「もしかしてオーストラリアに住んでた?」と言われるレベルにまで英語力を取り戻しました。

TOEICだと丁度大学卒業して、会社に入社した時の点数が、全く勉強してない状態で、880点程度でした。

 

それでも元々日本に帰国する前の英語を10だとすると、

5か6程度にしか英語を取り戻せませんでした。

 

こちらの記事に詳しく書いています。

www.johnathantbipolar.com

 ご参考までに!

 

気付いたことは、余程積極的に英語の勉強をしたり、数年単位で留学したりしない限り、帰国子女は一度失った英語力は、取り戻す努力をしても、完全には元通りには戻らないことです。

最後に

①日本にいるのだから日本語力の向上に力を入れる家庭
②英語力の維持や向上にお金や時間を惜しまず投入する家庭

上記でも書いていますが帰国子女にも2つの家庭があります。

①の家庭の子を見ても、②の家庭の子を見ても、

結局②を選んだとしても、日本語力はそんなに①と変わらない気がします。

それに比べて、①を選ぶと英語力は9年とか10年経つ頃には②と雲泥の差がつきます。

もし経済的に余裕があるなら、社会経験もある上でのアドバイスですが、

②を選んで欲しいです。

そっちの方が、9年とか10年経った後もお子さんからの感謝も大きいし、実質的なリターンも大きいと思います。

 

私自身がオンラインで英会話を教えています。ご参考までに!

www.johnathantbipolar.com

 

この記事が誰かの参考になりますように。。。

 

それでは!