2022.2.21更新
毎度です!ジョナサン(インスタグラム:@mayo_english_gram、TikTok:@mayo.cbf)です!
今回の記事では、帰国子女の編入で小学校に通っていた私が良い点、悪い点を語ります。
自己紹介させてください。
31歳男性で、双極性障害の治療中で、フリーランスで中学生や社会人相手に英会話を教えています。
父の仕事の都合(オーストラリア資本の物流会社に勤務。そのためシドニーに駐在。)でオーストラリアのシドニーで生まれ、9歳半まで育ちました。
小学校4年生の2学期に日本に帰国。
帰国子女枠でお茶の水女子大学附属小学校に編入しました。
私の英語力なのですが、所謂欧米ネイティブと同等レベルではないですが、普通に話せます。
TOEICだと955点です。
ご興味ありましたらご参考までに!
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さて当時私は、小学校4年生の2学期~小学校5年生の3学期まで、帰国児童教育学級に所属していました。
当時は小学校4年生の1学期~小学校5年生の3学期まで、帰国子女で編入してきた子は帰国児童教育学級で面倒を見てもらえました。
小学校6年生に上がるタイミングで、帰国児童教育学級の子達は一般学級の子達と混合編成になり、4クラスに分かれました。(小4、小5は一般学級は3クラスのみ)
これから私なりに感じた帰国子女の編入で小学校に通う良い点悪い点を書いていきますが、あくまで私の代でのお茶の水女子大学附属小学校という学校での当時の担任の先生達や当時の友達での状況下での話となっております。
帰国子女の編入で小学校に通える学校は私立国立含めると何校かありますが、
学校や代や担任の先生達や友達によって事情も変わってくると思います。
あくまで参考程度に読んでおいてください。
ちなみに、お茶の水女子大学附属小学校の帰国児童教育学級の編入試験の合格体験記の記事も書いてますので添付しておきますね。
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この記事はこんな方にオススメです。
- 現在海外に在住していて、今後帰国予定で、小学生のお子さんをお持ちの方
- 現在公立の小学校に帰国したばかりのお子さんを通わせていて、帰国子女の編入で通える小学校に転校させようか悩んでいる方
- 帰国子女の生徒を受け持つ学校の先生の方
- 帰国子女の編入で通える小学校の、純ジャパの生徒の保護者の方
帰国子女の編入で小学校に通っていた私が感じた悪い点
富裕層が多く、そうでない家庭の私は物凄くそこがコンプレックスだった
お茶の水女子大学附属小学校に子どもを通わせる家庭全般が富裕層です。
中でも、帰国児童教育学級で子どもを通わせる家庭は富裕層の中の富裕層です。
多分世帯年収で言ったら、1500万円オーバーの人達がほとんどだったと思います。
対して、私の家庭はただのサラリーマン家庭(駐在手当や住宅手当も取られていた)だったため、年収で言えば600~700万円程度だったと思います。
帰国児童教育学級の子達の家に遊びに行くと、そのもてなされ方で富裕層っぷりに驚かされました。
偉い豪勢なピザの出前が来たり、最新のゲーム機器がおいてあったり、私の家庭とは大違いでした。
皆お小遣いをもらっていて、携帯電話を小5とかで持っていました。
ファッションなんかも小5とかでブランド物着てました。
私は当然のことながら携帯電話なんか持っていませんでしたし、
服もほとんどユニクロみたいなとこで買ってました。
帰国児童教育学級のお母さん達は皆ブランド物で身を固めていて、
凄かったと母も言っていました。
富裕層過ぎて、富裕層自慢とかはしてこなかったらしく、もう住んでる次元が違う人達だったらしいです。
私はその貧富の格差に小学校の間ずっと同級生達にコンプレックスを感じていました。
小学校4年生からいきなり満員電車での通学を強いられる
お茶の水女子大学附属小学校の最寄り駅はいくつかあるのですが、
私は茗荷谷駅から歩いてました。
当時の自宅からドアドアで50分はかかってたと思います。
もちろん、文京区に住んでる子も多かったため、人によってはそんなに通学で苦労しなかったと思います。
実質電車に乗ってるのは35分程度ですが、行きの電車で座れてた記憶はほとんどありません。
シドニーに住んでた頃は、スクールバスか、母に車で送迎してもらってました。
子どもだから順応性が高かったのでしょうが、
今思うとよくその通学のきつさの落差とか満員電車で疲れなかったなと思います。
あんま体力無い子とかはきついかもしれませんね。
一般学級に合流した際、一般学級に馴染めない子もいた
特に女子に多かったイメージですね。
一般学級に合流しても、一人でいるか、同じクラスにいる別の帰国子女の子と固まるかってなる子が多かった気がします。
私も正直一般学級にはあまり馴染めませんでした。
彼らは、小1からの生え抜きのため、小6に上がるまでの5年も過ごしていれば、どこかしらで誰かしらと接点があります。
小6で一般学級に合流した段階で、もうグループに分かれてて、ちょっと入りづらかった記憶があります。
教育熱心な家庭が多く、そうでない家庭の子と学力で大きく差が出る
帰国児童教育学級の話です。
上記にも書いた通り富裕層が多いです。
当然ですが、富裕層の親御さんは教育熱心な方が多いです。
小4の段階で、受験塾に通ってる子も少数ながらいました。
小5の段階で、SAPIXや栄光ゼミナールに通ってる子が増え始め、
クラス15名中半数以上は受験塾に通い出していたと思います。
小学生の学力は、受験塾に通っているかどうかで大きく差が出ます。
私含め受験塾に通っていなかった子達は、テスト上の点数では「馬鹿」扱いでした。
英語のフォローアップは一切ない
あくまで、私が通ってた小学校での帰国子女を編入させる目的というのが、
「帰国子女」だった子達がどう「日本人」に変化していくのか研究していくため、
だったからしょうがない部分はあるんですけどね。
英語のフォローアップは一切学校では行われませんでした。
基本的に英語の維持・向上は各家庭でって感じでした。
私自身がオンラインで英会話を教えています。
良かったら記事読んでみて下さい!
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スポーツ等に秀でていない限り、一般学級と合流するまでは、一般学級の友達が作りづらい
例えばサッカー上手い子とかだったら、一般学級で昼休みとか放課後サッカーやってる子達(ガチでサッカー上手い子達)に交じって、友達作りとかは出来ます。
ただそうじゃない子は、一般学級の友達が一般学級と合流するまでは作りづらかった印象です。
特に女子にそういう傾向あったと思います。
女子で一般学級の友達一杯いた子とか皆無だった気がします。
私は、スポーツには秀でていなかったのですが、割と最寄り駅に近いところに2,3名(学年でもトップのやんちゃな子達)が住んでいたため、一緒に学校通ったり帰ったりすることも多く、彼ら位かな?まあ一般学級の友達はいました。
一応林間学校とかスキー合宿とかで一般学級の子達と混合で班が編成されるのですが、
そこで知り合う一般学級の子達とは大して仲良くならなかった記憶があります。
授業は基本的に出来る子のペースに合わせ、出来ない子に合わせた補講が少なかった
これは帰国児童教育学級でも一般学級でも当てはまることでした。
でも、これ帰国児童教育学級の子達にとっては死活問題ですよ?!
上記にも書きましたが、小5で既に受験塾に通ってる子達が半数以上いて、塾に通ってる子達のペースに合わせて授業が進むんですよ?!
帰国児童教育学級では当時私含め3名程勉強面で出来の悪い子がいました。
特に私が非難の矢面に立たされ、「馬鹿」というレッテルを貼られました。
勉強が出来る子は当然先生から可愛がられ、勉強が出来ない子はやや邪険に扱われました。
シドニー住んでた頃、算数はまだ九九をやっていました。
ところが、日本に帰国するともう既に小数点の割り算が始まっていました。
当然ついていけるはずもありません。
国語だって帰国子女なんでついていけませんよ。
理科なんてシドニーじゃ、小麦粉に水混ぜて接着剤みたいなの作ってたレベルですよ。
理科もついていけません。
社会も、日本の地理は当時補講をしてもらえなかったため、未だに苦手です。
テストをして、落第した人は追試を受けました。
私は追試で受かりましたが、追試でも落ちる人が2名いました。
追試の追試を彼らは受けていました。
そのレベルになると流石に補講がありました。
でも、そもそも違う国からやってきて勉強の進度も人それぞれなのに、
各家庭の教育任せで、出来ない子に補講を余りしていなかった当時の体制には未だに疑問があります。
帰国児童教育学級は少人数編成のため、いじめがエスカレートしやすく、人間関係がこじれやすい
帰国児童教育学級は15名編成と少人数編成でした。
小5の1学期に私が女子1名をいじめてたら、他の男子も便乗して乗っかっていじめ始めて、その女子は不登校になりました。
結局、私から謝罪の手紙を書いたりしてその子はまた学校に通い出しました。
本格的に人間関係がこじれだしたのは小5の2学期位からだったと思います。
男子、女子内でもグループが別れ、お互いのグループを嫌い始めました。
私は、うざくていじめてた男子が2名いました。
上記にも書いているのですが、私は学年でトップにやんちゃの2名と仲が良かったため、
彼らもいじめに加勢してきました。
彼らは小学生離れしたけんかの強さで、2人をぼこぼこにしていました。
でも、帰国児童教育学級内で彼らをいじめたりしていたのは、決して私だけではなく、
他の男子・女子全員が何かしらで関わっていました。
結局その2名も不登校になりました。
小5の3学期には、もうクラス内の人間関係がこじれにこじれていました。
私もはぶかれてました。
いじめに近いこともされました。
実は小4の1学期の段階では、私の代の帰国児童教育学級は小6までずっと持ち上がりの予定でした。
当時の担任の先生が保護者全員を呼び、事情を聞いた結果、
①全ての問題の原因が私にあり、私を帰国児童教育学級に残すことは危険であること
②よって、帰国児童教育学級は小5の3学期の終わりを持って解散とすること
となりました。
いじめを受けていた男子1名は小5の3学期の終わりをもって他県の公立小学校に転校しました。
後日聞いた話なのですが、
担任の先生が保護者全員を呼んで事情聴取した際、
どの保護者も、自分の子どもがどれだけ人として言ってはいけないこと、やってはいけないことをしていたのかを知らず、
私だけが非人道的な行為を繰り返してると信じ込んでいたそうです。
私から言わせれば、「確かに主犯格は私だったけど、当時あのクラスの誰もが何かしらの誰かしらのいじめやはぶきに加担してたぞ」って感じでした。
中・高・大・社会人と色んな人間模様を見てきましたが、
人間の汚さを初めて感じたのが、
全員が罪を私になすりつけてると知った時です。
こういう形で帰国児童教育学級が終焉を迎えるというケースもあります。
あくまでご参考までに。
帰国子女の編入で小学校に通っていた私が感じた良い点
帰国児童教育学級の授業のペースは一般学級より緩やか
上記でボロクソ書いたうえでちょっと矛盾すること書いちゃうんですけど、
それでも帰国児童教育学級の授業のペースは一般学級より緩やかでした。
一般学級の子にテストの問題とか見せてもらうと、やっぱり難易度は帰国児童教育学級のテストよりも上でした。
結局小6で一般学級と同じ授業を受けることになりましたが、
それまでの慣らし運転といった感じでした。
私は勉強していなかったので、ついていけませんでしたが、
受験塾に通ってる子達からしたら、楽勝だったんじゃないでしょうか?
帰国児童教育学級・一般学級両方経験していますが、帰国児童教育学級の頃の方が授業に雑談が多かったイメージです。
学校では英語を使わせない
お茶の水女子大学附属小学校の帰国子女の編入試験の日だけ、は男子4名(内1名はフランスからの帰国子女)女子2名の合格者で話すとき、日本語英語ごちゃごちゃで話してました。フランスからの帰国子女の子だけは英語がわからなかったため、日本語でした。
さて、翌日プチ入学式が行われ、編入試験日と同様日本語と英語ごちゃごちゃで話そうとした瞬間、当時の担任の先生から「学校では英語を話してはいけないルール」を課されました。
このルールは私は大学時代位までは、「あのルールがなければ帰国子女同士英語で話せて、今ほど英語も下手になってなかったろうに。。。」とか思ってました。
しかし、30歳の今になって思うのですが、あのルールは然るべきルールだったんだなと思います。
お茶の水女子大学附属小学校に編入させたがってた帰国子女の親御さん達は皆、子どもを「日本人」にしたかったから、あの学校を選んだんだと思います。
学校の方針としても、帰国子女がどの様に日本人に変わっていくのかを研究したかったはずです。
英語を話させたいなら、インターに入れなきゃダメですよ。
私が、「日本人」になる最初のステップとしてあのルールは良かったなと今になって思います。
基本のキから日本の学校でのルールを教えてもらえる
起立・礼とか、前へ倣えとか、上履きとか(シドニーでは建物の中も外も外履きだった)、給食とか、校歌とか、そんなもの海外の学校には存在しません。
そういった海外の学校には存在しないけど、日本の学校に存在するものを一から教えてもらえます。
校庭とかも日によって先輩が使う日とそうでない日があったり、何かと日本の学校はルールがうるさいです。
公立の学校とか入ったら、いきなり誰も教えてくれない中そういった暗黙のルールが待ち受けてると思います。
そういった点では帰国子女の編入を受けている小学校は帰国子女に優しいと思います。
日本の文化に触れられる機会を作ってもらえる(担任の先生次第)
私が帰国児童教育学級に編入した時の、担任の先生が、若くてやる気があって、「帰国子女」への教育に凄く興味のある、いわゆる良い先生でした。
例えばコマとか、メンコとか、ベーゴマとか、百人一首とか俳句とかそういった類の日本の伝統文化を授業や休み時間で取り入れてくれてました。
女子達は、銭湯に連れてってもらったりしてました。
男子は(私は行った記憶が無いが)落語に連れてってもらったりして、
その感想をクラス内新聞にして書いていました。
後、山手線一周して一駅一駅降りて、自分なりに感じた各駅の特徴とか書いたのも覚えてます。(それは確か保護者同伴で男子皆で行った記憶があります)
でも、こういうのって「日本人」になる上で凄い大事ですよね?
あの先生じゃなかったら、日本の伝統文化とかにも余り触れないまま大人になっていただろうなと思うと、凄い貴重な経験だったと思います。
帰国子女に理解のある先生が(公立の学校よりは多分)多い
帰国子女って言ったら、特に小学生とかだと敬語もロクに先生に使えなかったり、純ジャパの先生サイドから見ると「なってない子」も多いと思います。
そういう子への理解がある先生が、公立の学校よりは多分多いです。
なぜ多分と書いたかというと、やっぱり当時は老害みたいな先生もちらほらいて、
全然帰国子女の意識せず使ってしまってる失礼な言葉遣いとかにもうるさい先生とかもいた記憶があるからです。
それでも、一般学級に交わるまでは、結構腫れ物に触るように帰国子女の子に接してくる先生は多かった様に感じます。
ちなみに私は超ド級の問題児でした。
私だけは先生達も別扱いでした。
一回朝礼の時にわるふざけしてたら、当時暴力教師で有名だった先生がキレて、私の首絞めて失神させられました。
親もさすがに猛抗議して、もうその先生は私に関わってきませんでした。
バックグラウンドが似てる者同士、転校当初は友達が作りやすい
15名編成のクラスで、私が編入した時のメンバー含めて当時まだ12名位でした。
12名だったら流石に友達にならざるを得ない環境になってしまうってのもあるのですが、海外育ちっていうバックグラウンドが似てる者同士、転校当初は友達が作りやすかったです。
どうしても、一般学級の子とは林間学校とかの班編成で一緒になっても、「根本的な何か」が彼らと違うんですよね。それゆえ、友達になりにくかったです。
ですので、お子さんを編入させて「友達が出来るか心配・・」っていう点に関しては、安心してもらって大丈夫だと思います。
履歴書に国立大学附属小出身であることが書ける
まあ、帰国子女の編入を受け入れてる学校って国立大学附属だけじゃなくて、私立の良い学校でもあると思います。
どっちにしても、それを履歴書に書けるのって、公立小学校を卒業している人よりも、就職活動とか転職活動の時とか社会に出てからでも多かれ少なかれ有利に働きますよ。
私も、就職活動時にお茶の水女子大学附属に通っていたことを好意的に面接でネタにしてもらえました。
一定以上のIQのある人として見てもらえます(そうでない人でも)。
帰国児童教育学級は男女の垣根が無い
私の代なんですけど、編入した時に、「学校では英語を使ってはいけない」ルールの他に、もうひとつルールが課されました。
「帰国児童教育学級内では、下の名前で君付けちゃん付け」ルールです。
君付けちゃん付けはすぐに終わり、皆下の名前で呼び捨てし合っていました。
帰国子女というか英語圏の学校なら結構普通なことなんですけどね。
そういう風習があったため、必然的に女子に気を遣うこともそんなになく、
男女の垣根が一般学級の子達と比べたら無かった様に思います。
男女の関係というより、同性に比較的近い様な関係でした。
もちろん垣根が無い中でも、男女で好きになり合ったりする関係はありました。
最後に
少しは参考になりましたか?
一つだけ言わせてください。
私は基本的に小・中・高・大とそんなにどの時代も思い入れが強いタイプでは無いです。
そんな中でも、一番思い入れが無いのが、帰国子女の編入で通っていた小学校の2年2学期間です。
部活とかも無かったから特に充実感も無かったし、「こいつうざいな」とか「こいつ嫌いだわ」ってのが一番多かったのもあの時期だし、
当時つるんでた周りの奴らにも「こいつ良い奴だな」ってやつが少なかった気がします。(一般学級に入ってからも含めて)
今当時を思い返して、「あいつ今どうしてるんだろう」って思う子もクラスが違った子達です。
「こいつうざいな」とか「こいつ嫌いだわ」って子は外部の私立の中学校に進学するか、内部で附属中学校に進学しても、中学に進学してからハブられたりいじめられたりしてて良い気味でした。
特にハイパー楽しかった様な思い出もあの2年2学期間は無かったですね。
何が言いたいのかっていうと、子どもを帰国子女の編入で良い学校行かせても、それが必ずしも子どものためになるとは限らないし、子どもが楽しいと思うかは別だと言うことです。
ですので、帰国子女の編入で入れる小学校って限られて来てしまいますが、仮に不合格になってしまったとしても、落ち込む必要はまったくありません。
この記事が誰かの参考になりますように。。。
それでは!